Sign In

末次さんと文通

長渕剛を知るきっかけはまだ公務員の時の1996年の夏、偶然出会った日本の友末次和季さんの紹介のお陰様である。彼に最初会ったのは、ソウル駅のベンチだったが、彼はとても疲弊で疲れた姿で座っていた。
日本語の勉強に夢中だった僕は、町で日本人に会えば、声をかけて、日本語で会話するのがとても楽しかった。
汚い姿だけど確かに日本人に見えた彼に、日本語で声をかけ、色々話してみたら彼の話がとても興味深くなって、家に行ってもっと話そうと彼を誘った。
僕の家に到着してから、お風呂をさせて、夕食も持て成しした。彼は19歳の若者で職業はフリーターで金があれば、全世界を旅行して、金が無くなれば、又日本に戻って金を稼げくと言った。
彼と色々楽しく話している中で、彼が大好きな歌手がいて、その歌手の名前が「長渕剛」だった。これからは末次さんから送って貰った手紙の内容を紹介させてもらう。今度は最初の手紙である。
No1
金さん お元気ですか?長渕剛のCD(single)は届いたでしょうか。僕は8月21日に福岡に帰ってきました。
本当はもっともっとソウルにいたかったけれど、お金が無かったので仕方ありませんでした。
日本での生活は溜息ばかりの毎日です。本当につかれます。精神的に窮屈です。
僕は韓国には7月31日から8月31日まで滞在しました。何の目的もなくただ町をブラブラするだけの気ままな毎日でしたけど、今、振り返ってみるとやっぱり行って良かったと感じます。
若い僕には本当にそれで良かったんです。。。。
背中にリュックサック(バックパック)を背負い、額には汗を流しながら異国の大地を自分の二本の足でただひたすら歩く。。。
歩く事以外に必要なものは何もなかった。。。
市場をゆっくりと歩き、自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の体で感じ、自分の心で人々とコミュニケーションをする。
そして、勇気とhungry精神を身につけるために、毎晩野宿をしました。初めは寂しかったけれど慣れてしまえば大丈夫でした。
ソウル駅の前にはたくさんの椅子がありますよねぇ。
そこに腰かけて行き交う(道を歩いている人々)を見るのもいい勉強になりました。ただ人間をみているだけなのに全く飽きませんでした。